お知らせ

臨時休診のお知らせ
4月23日(土)は日本泌尿器科学会総会出席のため休診させていただきます。

5月2日(月)、6日(金)7日(土)は都合により休診させていただきます。
5月14日(土)は第二土曜日ですが、振替として午前中の診療をさせていただきます。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

自費手術の中止のお知らせ(平成26年3月17日)
包茎手術、精管結紮術(パイプカット)などは、手術としては決して大きな手術ではありませんが、精密な操作を要します。最近、そういう操作をするのに視力の低下を感じており、手術を見合わせたいと思います。ご迷惑をおかけしますがご理解のほどよろしくお願いします。

医院玄関.jpg

2016年3月31日年度末(病院を退職して十年)

勤めていた時にはしばしば節目となっていた年度末。あまり関係は無いのですが、最後の病院を辞めて10年。ちょっとだけ感慨があります。いろいろなことがありましたが、過ぎてみれば早いものです。

桜も五分咲きから七部咲きへとどんどん開き、朝夕はまだ寒さも残っていますが、太陽の光はもう強烈です。

一年のうちでこの時期は歩いて通勤することも多いのですが、八幡社の桜の横を通って春を感じるのはいいものです。気分も新たに新しい年度を迎えたいと思います。

2016年3月7日 後輩の来訪

土曜日にはるばる香川県からお客様が

今年の秋に私と同様、落下傘(勤務医をしていた病院から遠く離れたところでいきなり開業することをこう呼びます)での開業を予定している岡山大学の後輩です。もう私が大学を離れて姫路で働いている時の入局ですのでいっしょに仕事をしたことはありませんが、その人柄、仕事ぶりは伺っていました。

私もそうですが、大学でも、病院でも開業の仕方、というのを教わることはなく手探りの状態で準備をするのはとても不安なものです。設計士、工務店、薬問屋、医療機器販売会社、看板屋、広告屋、印刷会社、家具屋などなど付き合って行かなければならない方々、会社というのは沢山有るのですが、どの人を信用していいのかと言うのは本当に不安になります。結果として、信頼できる人が紹介してくださるところはみんな大丈夫、飛び込みで売り込みに来るのはおいしそうな話でも要注意、というのが私が学んだところでしょうか。話を聞くと彼は私のころよりはずっと順調に話を進めているようでした。この10年、ネット上に開業にむけての情報サイトが現れたり、何人もの同門の先輩が開業して話が聞けることもあるのでしょう。

彼もまた、泌尿器科開業医のいない地に降り立って、(最初は私と同じ苦労をするかもしれないけど)地域の人のために頑張っていくんだろうなぁ、と思います。私としても出来る限りの情報は伝えたつもりですし、今後も応援していきたいと思います。

2015年11月11日父の命日

11月8日の日曜日に昨年亡くなった母の一周忌の法要を行いました。父は亡くなって15年になるのですが二人とも11月でした。久しぶりに遠方に居る兄や親戚たちを迎えて、両親に手を合わせました。

形を重んじる母でしたが(よくそんなことしなくてもいいんじゃないかと生前ぶつぶつ文句を言ったことも後悔です)、納得してもらえたかな、と勝手に思っています。かなりの部分、母だったらこうしたかな、と思いながら準備を進めてきましたので。

今日は父に(お墓に)報告。涼しい季節ですので、8日に替えた花もまだ元気でした。

2015年4月7日 昨年のできごと(1)母を見送って

昨年11月に長く患っていた母を見送りました。体が思うように動かなくなる病気で、トイレや入浴が思うに任せなくなって約7年。最近では食べ物が飲みこめなくなり、最後は唾が飲みこめないことに苦しむひびでしたので、やっと楽になったかな、と思います。

ものが食べられなくなり、やせ細ってきたうえに、誤嚥性肺炎を起こした時には妹と相談して胃瘻を作ってもらいました。以前、患者の家族として説明を受けながら、家族の思いを綴っていた高名な心臓外科の先生がいらっしゃいましたが、家族となると本当に判断が鈍るものだと痛感しました。どうしてあげれば母に一番よかったのか、今もわかりません。結果論としては(母に限って言えば)胃瘻はしない方がよかったかも知れませんが、あれほど痰による苦しみがある、というのがわかりませんでしたので、もし稀なことであれば、100人いればした方がいい場合が多かったのかも知れない、とも思います。総論としては多くの同様の患者を診ていないのでわかりません。

7年以上、1日おきにかよいましたが、滞在時間はわずかなものでした。たまたま、亡くなる前の日に、私の息子と病室を訪れた時、「しっかりしやあよ」と繰り返し、学生だった息子に言っていたのが印象的でした。翌朝には(早朝連絡があり到着と同時に蘇生を断った)話をすることができなかったのですが、この春卒業した孫の姿をみせてやりたかったと思います。

私自身としては別れの会話は存分にできました。もう少し優しい言葉をかけてあげればよかった、という思いはありますが、言葉がやさしくなかったのは最後まで母に対する甘えであったということで許してほしいとおもいます。以前から末期の患者さんの家族には、「息を引き取る瞬間に横にいることが大切なのではない、話ができるうちにしっかりお話ししてください」と病棟でも言っていましたし。最近は薄れてきていますが、なにか親の死に目に会えない、というのが悪いことをした罰のようにいうのはやめてほしいと思います。

明け方亡くなって、初めて外来をドタキャンの休診にしました。お見えの方々、ご迷惑をおかけしました。薬が切れる方には大変迷惑な話です。枕経を読んでもらい、葬儀の手配をしたのち、夕方の外来、翌日の外来(幸い土曜日)をこなし、月曜日の告別式の日も、私は(早目には切り上げましたが)午前中、夕方の外来をやりました。

都会の方はご存じないかもしれませんが、当地はまだ講組という浄土真宗のグループがあり、葬儀を仕事を休んで手伝いあうのが普通です。本来は連絡して、仕切っていただくのが普通なのですが、どう考えても彼らに仕事を休ませて、私が外来をするのではすじが通りません。考えたうえで、講組に依頼はせず、兄弟と葬儀社と職員に手伝ってもらうことにしました。あとで村の長老の一人に怒られましたが。

こうやって書いていて、幼いころ怒られたこと、かわいがってもらったことなどが浮かんでは来るのですが、それは言葉にできる事ではなく、ここではご迷惑をかけた当日来院された皆様と、近所の方々へのお詫びをさせていただきます。

2015年4月3日久しぶりの日記

仕事が始めのころに比べれば忙しくなってきたこともあり、気がつけば1年以上も日記をさぼっていました。

もともときちんと物事を継続するのが得意な方ではありませんでしたが、人に見せるため、というより自分の覚えとして大変有用なので、いつまで続くかはわかりませんが改めて書き起こしたいと思います。

この間それなりにいろいろなことがありました。一番大きなことは長く病床にいた母が亡くなったことでしょうか。悲しい思いもありましたが、ああやっと楽になったね、という思いの方が大きかったように思います。家を守るという使命感の強かった両親の思いを引き継いでいくのが今できる親孝行かな、と思っています。

病院を辞めて、9年、いよいよ開業して10年目を迎えることになりました(早いものです)。

昔ほど、書く暇も、書くこともなくなってきているのですが、書くことが無いときは休んでいた間のことを、書く暇が無いときは、診療時間以外で、書き綴っていきたいと思います。